身体とココロ、どっちが強い?
子どもの頃、いや、つい最近まで、私は、心の状態が、体の状態を決めるんだと思いこんでいた。
どういうことかというと、自分の脳みそが主で、体が従だってことだ。
卵が先か鶏が先かって議論があるが、それで言うなら、脳が先で体が後。
頭で何を思ったかが先で、体は頭が思った通り動くんだと思い込んでいた。
てか、皆、たぶんそう思ってる。
そう思ってる人が多いと思う。
鍼灸学校を出て、東洋医学を勉強していても、たぶんほとんど、頭が先で、体が後だと、そういう考え方をしていると思う。
ところが、よくよ~く、東洋医学入門の本を読んで、ちゃーんと理解すると、そうじゃない。
東洋医学の考え方では、体>脳
むしろ、脳のことを、東洋医学は、あまり重視しない。
ほとんど顧みない。
だから東洋医学はダメなんだっていう話じゃなく、実は案外そうかも…と、私も最近そう思うようになってきた。
(もっというなら、現代医学をバリバリやってきた、解剖学者である養老孟司さんの「バカの壁」を読んでも、そういう風に読み取れません? 私には荷が重いので、踏み込みませんけど)
身体は食べたもので作られる
心は聞いた言葉で作られる
そして、未来は、話した言葉で作られる
これはYouTube講演家 鴨頭嘉人さんから聞いた言葉なんですけど、
NLP 脳神経言語プログラミング の考え方では、脳みそは、言語によってプログラムを組み替えることができるOSだと考えられています。
トラウマとか思い込みとか、自分の意志じゃなかなか変えられないと思ってるようなことでも、変えられないなんてことが思い込みで、全然書き換えできる、つまり二行目の、「心は聞いた言葉で作られる」、三行目の「未来は、話した言葉で作られる」っていうのは、そういうことだと思うんです。
心と言葉を上手に使えば、心(過去)も変えられるし、なんなら未来だって変えられる、めっちゃ幸せな話。
だけど、私は一行目が気になる。
その言葉でプログラムが書き換えられる脳みそだけど、素材は生体じゃん?
神経だって、素材はタンパク質。
いくらプログラムを書き換えたって、パソコンが水濡れしたら壊れるようなもんで、物理的に破壊されたらダメでしょ。
ってことは、脳とか考え方とか以前に、脳みそ(パソコン)を物理的に支配しているのは、体じゃないの?ってことなんです。
どんなすごいコンピューターだって、野球選手が砲丸玉投げて、直撃で破壊されるんちゃうん?
プログラムの優秀さ、意味ないやん?
と、そういう意味で、結局何が言いたいかというと、体(食べたもの)が脳のパフォーマンスを支配してるやん?ってことです。
そんだけ身体は偉大。
だから、何を食べるかはちゃんと考えたほうがいいってことです。
まぁ、当たり前の結論なんだけど。